鉄道関連本

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この趣味が広がらない訳…

先日、IMONさんのブログを見ていて、天賞堂の新本会長の訃報を知りました。

いろいろな賞賛・批判を浴びつつも、日本の鉄道模型を引っ張ってきた、数少ない第一世代の模型店の代替わりということになりましょうか。
その中で触れられていたことで、日本の鉄道模型が(そのブログでは「天賞堂の」と限定はしていましたが、限定しなくてもよろしいかと思いますので、ここでは「日本の」とかきます)1/80・16.5mmであるがゆえに、趣味人口が増えなかったと書かれていました。

もういろいろなところで、なんでこの趣味は間口が広がらないんだろう?ということがたくさん書かれてきましたね。
自分もこのブログなどでいろいろ書いて、以前書いたことをすっかり忘れて真逆のことを書いたりしていました。

なぜ、この趣味は間口が広がらないのか…
最近思っていることは、この趣味自体の「環境」が原因ではないかということです。
しかも、日本固有の理由で…。
自分の中では、この趣味を49年やってきて、いまは非常にわけのわからない「やるきのなさ」が充満しています。

まずして「実物」に興味が無くなっています。
今走っているJR・私鉄の電車たちに、魅力を感じなくなっています。

確かにきれいな電車です。デザインも優れています。省エネです。
でも、何かが違う…。
だから、その電車に乗って、旅行したいと思わない。
「乗ってみたい」という気にさせられない。
一般の方は「電車」に乗っているのではなく、きれいな移動手段で旅行している途中段階を楽しんでいらっしゃる、と私は思っています。

以前の私の上司が「食堂車なんて不要だ。旅行した現地に行って、現地のものを食べるべきだ」という話がしたことがあります。
これは一瞬正論に思えますが、この話を聞いた直後は、ちょっとずれているような気がしたことを今でもはっきり覚えています。

旅行、でも出張でもそうですが、汽車に乗るってのは、私は「日常のリセット」のかかっている時間ではないかと思っています。
そこには、まるで「禅寺」で座っているかのような空間、とでも申しましょうか…
そこまで重々しくなくてもいいんですが、座っていらっしゃるそれぞれの方々が、思い思いの時間を過ごされていくうちに、目的地まで「リセット」されていきます。
バス・電車のたぐいは、この「リセット」が出来るかどうかで、降りた後の動きが変わってくるように思えるのですね。
でも、例えば「水戸岡デザイン」の電車は確かに「すごい!」(素晴らしい、を超えていると思いますね)んですけど、そこにはなんだか「落ち着き」がない。
「今電車に乗って、移動中だよ」という感覚は、どうも感じられない。
移動中も「イベント」だ!というデザイン、というのがいまの「優等列車」の時勢なんでしょうね。

では一般列車は?というと、これまた実に味気なくなりましたね。
やっぱり「デザイン」がすごいんですが、人間工学的にフィットした「ロングシート」だったり、車内の色彩などもよく考えられている。

では毎日乗りたいか?というと、仕事で乗る…買い物で乗る…というはっきりした目的があれば乗りますでしょうが、「なんとなく、きょうは●●線でぶらぶらするか?」と言った場合に、そこで「なんともすんばらしいデザインの電車がはいってきたら」なんだかなあ、と思ってしまうんです。


うーん、うまくいえないな。

まあ、いうなれば「ラーメン」を食う心境とでもいいかえましょうか。
つまりですな、ラーメンっていまはほとんどどれも「うまい!」というこだわりやらなにやらであふれています。
しかしこれは30年ほど時を戻すと、そういうこだわりって、あんまり表には出さなかった。それぞれの店なりの工夫はあるんですけどね。
では、普通のラーメン、ってどんなのか、そのコンセプトは「もうからねえが、楽なのが一番」ってやつです(笑
化学調味料をいれ、できあいの鶏ガラスープに、ちょっと濃いめの醤油、町の生麺屋さんでも手に入りそうな麺、とりあえず煮ておけば出来上がるチャーシュー、といった、いまならへたをすると400円レベルで食べられる、というやつですが、それって、じつは意外に毎日食べても飽きないと思うんです。
この感覚が、じつは昔の私鉄・国鉄の車輛にはあったんです。
ものは中庸がよろしかろう、ランクが上ならその方々の「中庸」をデザインしていた。
大きく変わった車輛としていくつかのエポックメイキングな車輛もあるんですが、それがとんでもなく逸脱していたのかというと、実はそうでなかったりしますね。

新幹線などは、既存の技術やデータを見直したり、研ぎすましたものであって、真新しい技術などはない、と島秀雄さんが書いていました。
相武台実験に始まる新性能駆動試験やタルゴ・低床車の登場、全冷房の寝台車、パーラーカー…それまでになかったもののように見えても、技術的には前例があったりしています。
また、これから使う期間と、提供できるサービス条件も、それぞれの電車・客車たちは織り込んでいて、それゆえに普通に生きながらえた車輛が多かったとも言えます。


転じて、今新製中の車輛が、そこまで息が長いのか?というとこれは疑問です。
10年で陳腐化する…といったのは小田急3000(SSE)登場時の山本利三郎氏の言葉ですが、これとは若干ニュアンスが異なって参りましょう。

長々と書きましたが、ようは実物が「飽きられる」ような前提を持って作られている以上、そっちに興味が無くなることが多くなり、それが模型趣味にも反映してしまっていると私は考えています。


でやっとこさ、元の話に戻ると、そんな実物が跳梁跋扈している中で「この趣味を理解してくれる人が増えた」というような認識はあるかもしれません。
それが「鉄道趣味」、とくに「模型趣味」に反映するような、「ああ、この電車に乗って楽しかった、これを思い出にしたい、また乗りたい、せめて自分の手元においておける何かを買いたい!!」という衝動になっているか?というところが大事かと思うのですね。

その思いが大きければ大きいほど、人間ってのは意外に「金は出す」んですね。
ものを運ぶだけならどっかの安売り店で鞄を買えばいい、でもウン十万する「はーめす」など、買う人がいて、ちゃんと商売も成り立っている。

持つことの「矜持」
を満足させているからにほかなりません。
でも、模型ってそんなものは出てこないんですね。

なんとなくそういう意味では、この趣味の限界を感じている昨今です。
まあ、50にもなりましたし、ここでいったん整理する…というのも視野に入れて、今後どのような遊び方をしていけばいいか…場合によっては大きい模型にシフトしてごく少量の車輛でも満足できる環境に変えていこうかとも思っている店主でした。

戯れ言かいてすいません。

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コメント

 趣味人口の減少を危惧する声は、80年代半ばからすでにあったと思います。当時は所謂「ブルトレブーム」があり、それに伴いNゲージが爆発的な人気を博していた時期であったにも拘らず、です。
 ファンの構成も10台半ばから60歳以上と幅広く、若年層はペーパーキットあるいはペーパースクラッチ、ベテラン層は、盛んに発売されていた、真鍮製バラキット、さらにロストパーツでディテールを盛る、といった工作を楽しむなど、車両工作だけでも多様な楽しみ方ができるようになっていました。
そしてNゲージのレイアウト製作の環境も整いつつあった時期です。もちろんそれは進化を遂げながら現在も可能なのですが、そういう時代であったにも拘らず、模型人口の減少を危惧する声が上がっていたのです。Nゲージで鉄道模型に入門するファンが激増した状況でも16番を中心とするファン層が増えない、もちろん16番からNに移行するファンもいれば、両方楽しむファンもいるけれど、少なくともNから16番に移行するファンは少ない、と、当時すでに考えられていたのでしょう。
そして精密化、それは進歩でもあるのですが、それに伴う価格の上昇は当時の日本の経済の状況を反映していて、高度成長によるインフレや人手不足による人件費の上昇は機械化、合理化によって量産化に成功した多くの工業製品に対して相対的に遥かに大幅なものとなり、とくに年少者の手の届かないものになりました。
 私はそのことこそが、趣味の広がりをを阻む原因だと思っています。

 プレスアイゼンバーンが日本型をHOスケールで製品化したのは上記の状況からむしろ自然なことだったのかも知れませんが、その特長を主張すると必然的に従来の日本形16番の短所を強調することになり、そのことが日本形16番を熱烈に愛好するファンの反感を買い、不毛なゲージ論を中心とした叩き合いに発展してしまったことは、模型界や業界にとって不幸なことでした。誰だって自分の大切にしている物に対して批判されればよい気持ちはしないでしょう。HO=87分の1であることは当然として、正論だからと云ってそれを振りかざして相手を徹底的に攻撃する、心の偏狭さが30年近く続いているのですから、異常と言わざるを得ません。
ファインスケールを謳うのであれば13㎜ゲージを推進しても良かったと思うし、そういう動きもあったのですが、結局HOスケールを採ったのは、「国際標準規格」だから、ということのようですが、私は蒸気機関車やEF58のように形態的な特徴から16番の模型化に際してデフォルメを加える必要があるものを除き、従来の模型の下回りを変更するだけでは商売として旨みがない、と考えたからだと思っています。もう一度シロクニやデゴイチ、ゴハチを大々的に売りたい、と思ったのでしょう。
いちおう理系の人間として、スケール法を金科玉条のようにいただく風潮にそもそも大いなる違和感を持っています。工業に於いてはとっくにISOが国際標準規格となっていて、それはいうまでもなく「メートル法」によっているわけで、インチ、ポンドに固執していること自体がすでに異端であるわけです。模型化に際しても、スケール法よりもサイズ法が採用されることも多くなり、今後米英の影響力が相対的に低下していくのに伴い加速していくはずです。ですからスケール法を根拠にするIMONさんの見解には到底同意できないのです。

裏克哉塾生様
結局のところ、いろいろ趣味誌がさんざんいろんな理由を書いてきましたが、やっぱり「値段」が高すぎる…、これにつきると思います。
どんなに高くたって、買う人は買う…なんていってますが、つまりはその値段に見合う価値、がないということですね。
いま、オークションででている模型たちも、いわゆる「投機型」の値段になっているものはほとんど無くなっており、古いものはそれなりの値段に落ち着いています。
むしろ一時的にせよ、価格が下がる傾向がありました。
これは16番人口がいよいよ減ってきていることを表していると思っています。
すなわち、オークション形式で争う人間が限られてきたということです。
それゆえに「高騰」しなくなってしまったのですね。

そして、くだんの井門副社長の言葉ですが…。
1/80/16.5mmが悪いといっても、これが多分1/87・12mmだから普及したのかと言えば、それはちがうでしょうね。
本物とおんなじに小さくしました…といったところで、それが1/80だろうが1/87だろうが、一般の人には関係ない!そんなのわかりません!!と言われるのが落ちです。
また、両方をもし並べたとすれば、それこそ「八百屋でピーマンを並べて、こっちの方がきちんと育てたピーマンだから、高いんだよ!」とやられて「こっちの方がでっかいから、そっちでいいよ」となるのが関の山です(さて、どっちを選んだのでしょうかねえ)

つまり、もうこのブログで散々書きました通り、ユーザーの間口を広げるならば、「縮尺」なんてものは関係ない訳です。
もしあくまでもそれに拘ると主張するならば、鉄コレやBトレインショーティの購入層がどうして大きいのかの説明がつけられなくなります。

まあ、中古の模型を買うのもそろそろなんだかなーと思い始めています。
模型が悪いというのではなく、それらを購入したとして、自分がメンテナンスする元気が無くなってきているため、かえってその模型たちがかわいそうかな…と思ってしまいます。
やっぱり模型は走らせないといけません。
キットならば、組んでやらないといけませんね。
でっかいC60をまえにして(どこのメーカーかは言いませんが・笑)やっぱり模型は存在感無しでは語れないんだなあ、と思っています。

らじ店主様、はじめまして。
実は前から拝見していました。
久しぶりに覗いたら・・・・・色々。

書き出すと長くなりそうで遠慮してたのですが・・・・・・・
思い切って・・・・・・・

小学生の頃からTMSを読んでおり
鉄道模型知識は長らくあってもN以外はなかなかでした・・・・・。 
数年前に16番ペーパーで広島の路面電車
作っていたのですけど・・・・・・・・・・

>「実物」に興味が無くなっています。
私は元々好奇心が適度にある性分なので興味が
失せることは無いものの・・・・・・・・・・
確かに仰られる『ニュートラルなデザイン』が少ないですね。

水戸岡デザインのウンザリする表記は記念撮影した際に
何時ごろなのかぱっと判る様にしたらしいけど、
人間の記憶力とか感覚は、受身になると鍛えられないので
余計なお世話なんですよね。
テレビや新聞で読めない漢字は引っかかったら
ほっといても調べて読めるようになるのに(何のためのスマホ?)
判らないからとなんでもひらがな書きにするのと同じです。

>ああ、この電車に乗って楽しかった
世代間落差はあっても
人間の本質ってそんなに変わらんはずなんですが・・・・・・
他人にとってはちっぽけでも
自分にとっては大切に出来る体験や
感動できる出来事が少ないのかも。
それとも、それをおおっぴらに
大事に出来ない要因でもあるのでしょうか・・・・・・。

>移動中も「イベント」
これの適度さを無視した状態も要因かも・・・・・・・・・。
こういう『雑音』が酷いのでJRや
地元有名大手私鉄(特急の塗装変更は許せない)から離れ・・・・
年に数回、広島の町と広島電鉄を楽しんでます。
特に本音や日常が見えやすい平日を好みます。

車庫で撮影させてもらえたり、職員の方と話しできたりと・・・・。
昔、近所の国鉄駅で電車見てたとき駅員に声かけられて
駅の中に入れてもらい色々教わった事を
思い出せる日々です。
因みに、広島とは縁もゆかりも無かったのですが・・・・・・・

こう書くとよく隣の芝は・・・・・・・・といいますが
今はどちらかと言えば自分たちの芝が
得体の知れないものに荒らされてるだけに
過ぎないのかもしれませんね。
ただ、その為にシマを換えるのは
恥じることではないと思います。

長くなりすみません。
ではまた。

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